令和3年2月

専心・洗心(住職コラム)

今月の詩

心の秘密

どんなに精巧な どんなに複雑な
どれほど智恵のある機械でも
人間の代わりをしえない領域が ただ一つある

それは 人間がその隣人を理解し 共感し 親和し
了解ある伝達を成就するという 領域である
人間以外のものが 人間を知るという時代は
永久に来ないだろうと思う

ロバート・リンドナ

人間が人間である所以は、「心」を持っている点にあります。心は数字では表せません。心は人間の数だけ存在します。人間の感情には、決して、同じものはありません。

心の機微に触れ、心の琴線に触れ、そして、喜怒哀楽に触れることによって、人間は、より人間らしく、「人間として生きていく」のだと思います。

戒め(いましめ)

「戒め」という言葉は、辞書によると「教え諭す・注意を与える・叱る・懲らしめる」という意味があり、戒告・戒律・訓戒といった熟語もあります。仏教用語で最も知られているのは「五戒」で、「不殺生・不揄盗・不妄語・不邪淫・不飲酒」です。

こうした「戒め」は、実は、仏教においては「仏具」や「庭木」などにも存在します。つまり、毎日の生活の中で目にする物を通して、心(煩悩)を振り払う役目(戒め)を担っています。

有名なのは、魚をかたどった「木魚」「魚板」ですが、魚は夜でも目を開けていることから、「四六時中、常に精進をせよ」という教えが込められていると言われています。

また、ほとんどの寺院には、一年を通して鋭い針のような緑の葉を繁らせていることから、「僧侶の慢心・怠惰を戒めるもの」と言われている「蘇鉄(そてつ)」が植えられています。

僧侶に限らず、昔の人は、「目に見える物」を自分自身の生活の戒めとしていることも少なくありません。黒田如水は水から、吉川英治は全ての事物から、自分自身の戒め(人生訓)としています。中には、自分の人生を大きく変えた物を、心の戒め(励み)として肌身離さず身に付けている人もいます。

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