令和3年1月

専心・洗心(住職コラム)

今月の詩

牛(抜粋)

牛はのろのろと歩く
牛は野でも山でも道でも川でも
自分の行きたい所へは真っ直ぐに行く

牛はただでは飛ばない
牛はただでは踊らない

ガチリ ガチリと
牛は砂を掘り石を跳ね飛ばし
やっぱり牛はのろのろと歩く

(中略)

牛はのろのろと歩く
牛は大地を踏みしめて歩く
牛は平凡な大地を歩く

高村光太郎

今年は丑(牛)年。慌てず騒がず、自分の信じる道を、一歩一歩力強く、大地を踏みしめ、人生を噛みしめながら、生きて行きたいものです。

願をかける

時代劇などを見ていると、「お百度参り」をしたり、不動明王に水にかけたりして、「願掛け」をする場面がよく出てきます。

「苦しいときの神頼み」とは言いますが、人間の心は弱い一面も持っており、「何かにすがる」ことによって、不安や苦しみから逃れたくなるものです。

そうした人間の弱さにつけ込んで、法外な金品を要求する「宗教まがいの商法」が、後を絶ちません。壺やら水晶やら置物やら、数えたらきりがありません。

しかし一方、「一念岩をも徹す」「一念天に通ず」という言葉もあります。「一心に思い込んで、ことを行えば、どんなに困難なことでも成し遂げられる」とか、「一つのことを全身全霊をあげて努力すれば、思いが天に通じて、どんなことでもやり遂げることができる」という意味です。

「お百度参り」とか「願掛け」は、「苦しいときの神頼み」かも知れませんが、しかし、それは「祈願の思いの強さ」が行動として表れたものです。

「不安や苦しみに立ち向かう」という、その心の強さが、その人の人生を切り開いていくことになるのでしょう。「お百度参り」「願掛け」によって、「思いや願いが成就する」ことも、実は、よくあります。

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